エイトル・ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハ第2番

 ブラジルにはサウダージ(Saudade)という言葉があるそうです。いまはもう遠ざかってしまったうれしかったことを思い出す心持ちというような翻訳者泣かせの言葉だそうです。よく晴れた海岸で友人たちと楽しい時間を過ごし、やがて夕暮れがおとずれたときの嬉しいような悲しいような気持ちだと聞いたことがあります。誰に聞いたんだったかな~。

 さて本日の「ブラジル風バッハ第2番」はそのブラジルはリオ・デ・ジャネイロに生まれた大作曲家、ヴィラ=ロボスの代表作のひとつです。若き日にはパリ音楽院にも留学し、かの名教授ナディア・ブーランジェにも学びました。ピアノ、クラリネット、チェロを演奏し、どんどんたくさんの曲を書いてしまうまさに天才肌の方だったと推察いたします。本日お送りするブラジル風バッハは第9番まである代表作ですが、そのほかにも交響曲が12曲、ショーロスが14曲、弦楽四重奏曲が17曲などととにかくどんどん書いたのですね。ハーモニカ協奏曲もいいですよねえ。ブラジルでは旧紙幣に肖像が採用されていたとのことです。

 原題は「Bachianas Brasileiras N.2」。BacheanasもBrasileirasもどちらも形容詞で、意味合いとしては「ブラジル風なバッハ」ということでもなく、「バッハ風な、ブラジル風な」が近いようです。最近では原題の通り、「バッキアーナス・ブラジレイラス」と書いてあることも多いですね。第9番まで連作された親しみやすいメロディ溢れる傑作群です。第1番は8本のチェロ、本日の第2番は室内オーケストラ、第3番はピアノとオーケストラ、第4番はピアノ独奏とオーケストラ用。第5番はチェロ8本とソプラノ独唱、第6番はフルートとファゴットのデュエット、第7,8番はオーケストラ、第9番は無伴奏合唱版と弦楽合奏版!なんという多様な編成!Diversityってやつですねえ。なかでもソプラノが唄う第5番は聴けば誰でも思い出すたいへんメジャーな作品です。さて、そういったなかで、水星交響楽団ではずいぶん前に第4番を取り上げ、数年前には第7番、そして本日は第2番を演奏することとなりました。南国のメロディに魅入られたオーケストラといったところでございましょう。ちなみにみなさまご存じの通り、南米には優れた第2番を作曲する伝統があります。3大南米2番といいますと、本日の「ブラジル風バッハ第2番」を筆頭として、メキシコ第2の国歌と呼ばれるマルケス作曲の「ダンソン第2番」、南米クラシック音楽の父と呼ばれたカルロス・チャベスの「交響曲第2番」ということになりましょう。きっと南国好きオーケストラ水星交響楽団がまとめて取り上げる日がやってくるに違いありません。

 本日演奏する第2番は、小さい編成のオーケストラのために書かれました。作曲は1933年。サックスのある1管編成を基本にトランペットはなし、ホルンが2本、チェレスタ、ピアノ、打楽器と弦5部となっております。くーっ、たまりませんね。曲は4つの楽章からなり、各楽章にはバッハ風のタイトルとブラジル風のタイトルが併記されています。

   第1楽章:Preludio: O Canto do Capadocio <前奏曲/ならず者の唄>
   第2楽章:Aria: O Canto da Nossa Terra <アリア/祖国の唄>
   第3楽章:Danca: Lembranca do Sertao <舞曲/藪の思い出>
   第4楽章:Tocata: O Trenzinho do Caipira <トッカータ/カイピラの小さな汽車>

 これをみるとバッハの様式にブラジルの唄を融合したようなイメージかもしれません。どこをとっても唄える切ないメロディが多声で重ねられていきます。何ともたまらない響きですね。

 第1楽章は「前奏曲/ならず者の唄」、冒頭からゆっくりとした重苦しい響きで満たされたなかからテナーサックスの歌が浮かび上がります。グリッサンドや3連符が多用された自由な節回しは、まさに片田舎のならず者という雰囲気です。飲んでいる感じですねえ。魅惑のメロディはテナーサックス、チェロ、トロンボーン、ファゴットなど中低音の魅力あふれるみなさんが担当してまいります。この辺りはヴィラ=ロボスの趣味なのでしょうか、しばらく浸っていますと中間部では快調なテンポで軽やかなブラジル風のリズム!いいですねえ。そして再び冒頭の重苦しい哀愁のならず者の唄がかえってきて酔いつぶれるかのように静かに終わります。

 第2楽章は「アリア/祖国の唄」、衝撃的なフルオーケストラの9thコードではじまり、チェロがソロで唄い始めます。なにかを思い出すかのような切なくも息の長いメロディです。そして「行進曲風のテンポで」と書かれた楽しい中間部、快調ですが不規則なアクセントが入ります。でこぼこした田舎道でしょうか?ひとしきり楽しみますと再び衝撃の冒頭がかえってまいります。クーッ、しびれますねえ。そして切ないメロディを今度はヴァイオリンとチェロが奏でます。最後は我に返るかのようなトロンボーン。

 第3楽章は「舞曲/藪の思い出」、藪の思い出ってなんのことでしょうか...吹き渡る草原の風のような快調なピチカートに乗って誰かに呼びかけるようなトロンボーンソロです。素晴らしいですね!中間部ではさらに激しく風が舞い踊るようです。まさに舞曲!やがて静まっていきますが、最後には青春の雄叫びが響き渡ります。

 さて4楽章「トッカータ/カイッピラの小さな汽車」は、ヴィラ=ロボスのもっともポピュラーなオケ曲とも言われる名曲です。停車していた汽車がガタゴトと動き出してやがて快調なスピードに乗ります。鼻歌のような楽しいメロディ、快調な車窓、ときどきガタゴトする異音、汽笛や掛け声、そしてだんだん速度が下がって停車するかのような素敵な曲です。これはやっぱり蒸気機関車でしょうか。シベリウスの「フィンランディア」やドヴォルザークの「新世界」、オネゲルの「パシフィック231」など産業革命をもたらした蒸気機関と鉄道にインスパイアされた名曲は数知れませんね。聴衆を求めて世界を旅する音楽家と、重い車両を牽引するダイナミズムにはなにか引き合うものがあるに違いありません。もっともヴィラ=ロボスの場合には「小さな汽車」というだけあってどこか可愛らしいのどかな雰囲気も漂います。京都とか長瀞辺りにあるトロッコ列車のようなものでしょうか?それともディズニーランドのウエスタンリバー鉄道?カイッピラというのは特定の地名ではなくて「ブラジルの田舎者」といったような意味だそうです。インディージョーンズの疾走トロッコのようなものとは違うのかも知れませんね。かの冨田勲先生も9作目のシンセサイザーアルバム「Dawn Chorus」で取り上げました。ちなみにドーンコーラスとは天文学者たちが「暁の合唱」と呼んだ遠い恒星からの微粒子が地球の磁力線に触れて発生する電磁波をアナログラジオで捉えたときに聴こえる森の小鳥たちがいっせいに朝を喜ぶさえずりのような音だそうです。冨田勲先生のつけたタイトルは「ホイッスルトレイン」いやあいいですねえ。4楽章ではこの凝縮された編成のオーケストラにたくさんの打楽器が登場いたします。本日は工夫をこらしたブラジル打楽器が多数登場です!ガンザ、シェカーリョ、レコレコ!魅惑の世界ですね。こうご期待!ちなみにサンパウロ州立管弦楽団ではこのコロナ禍の中、リモート合奏で「カイッピラの小さな汽車」を発信いたしました。愛されていますねえ。

 ヴィラ=ロボスのメロディは、どんなに快調な場面でもどこかに物寂しさが感じられる気がいたします。日本からは地球を挟んだ反対側にある国、ブラジル。本日はそんなブラジルの方が大切に思うサウダージ感をみなさまと味わえたら最高でございます。面白うてやがてかなしき...なかなか遠出がむずかしい世の中となりましたが、気持ちだけでも羽ばたきたいものでございます。

(山本 勲)