本日のソリスト、山本一輝さんは24歳、クァルテット・インテグラのメンバーとして活躍されている新進気鋭のヴィオリストです。音楽を始めた頃のことやヴァイオリンからヴィオラに転向したときのこと、そして新型コロナ禍で感じたことなどを伺いました。
褒められるとうれしかった幼少期
ー 山本さんは最初はヴァイオリンを習っていたとお聞きしました。
ヴァイオリンは5歳から家の近くの先生について習い始めました。姉がピアノを習っていて、違う楽器をやりたかったのでヴァイオリンにしたように記憶しています。
ヴァイオリン弾くと母や先生が褒めてくれて、褒められると嬉しいのでもっと上手になりたいと思って練習していました。
ついていた先生が桐朋の音楽教室で教えていて、その流れで桐朋学園に入り今に至るという感じです。熱心な先生だったので、今の自分があるのはその先生のおかげというか先生のせいですね。(笑)
ヴァイオリンは向いてない?高校に入って考えた進路
ー 桐朋学園に入るまでは自然とすんなりと来たというお話しでしたが、高校に入ってから進路について迷いがあったということでしょうか?
中学校までは「(ヴァイオリンが)上手な子」と言われてきて、自然と桐朋に入ったのですが、周りはみんな上手でした。やはりヴァイオリニストはスターだと思うのですが、自分はそういうタイプではないので、自分が弾けなくなったような気がしました。人前で弾くのが怖くなり、ヴァイオリンに向いていないのかもしれないと、将来音楽を続けるか迷っていました。
そんなとき、カルテットのヴィオラ要員として声をかけられてハイドンの「ひばり」を弾いたのですが、すごく楽しくてカルテットの魅力に取りつかれたのと同時に、ここ(ヴィオラ)が自分の居場所だと感じました。高校まではヴァイオリンも弾いていましたが、大学に入ってヴィオラに完全に転向しました。ヴィオラを弾くようになってからは音楽を続けることを迷ったことはありません。
ヴィオラとカルテットに捧げた学生時代
ー 大学生のときはどんな学生でしたか?
大学の授業、レッスン、カルテットの合わせで忙しかったですし、家に帰っても練習していて真面目な学生だったと思います。ヴィオラの先生は厳しくて、レッスンで指が震えるようなこともありましたが、1年間に受けられるレッスンの回数は30回と決まっていて、その回数受ける人あまりいないのですが、自分は30回絶対受けるようにしていました。
現在の活動の中心はカルテット
ー 現在の活動の中心はカルテットと伺いました。昨年からの新型コロナウィルス感染拡大は山本さんの音楽活動にも影響あったと思いますが、どんなことを考えられましたか?
大学に入ってすぐカルテットを組んだのですが、カルテットは合わせるというより、それぞれがどう弾きたいかを持ち寄って、ああでもないこうでもないと議論して音楽を作っていくという感じで、それが楽しいです。現在は、来日する海外アーティストが少なくなっているので演奏の機会は増えていますが、昨年の3月~5月は演奏会も全てなくなり、カルテットを合わせる場所もない状態でした。6月に配信コンサートがあり、その前にカルテットのメンバーと久しぶりに会って、音楽をやることもそうですが、人に会うのが楽しいと感じました。7月からはお客様を入れたコンサートが再開し、人前で久しぶりに演奏して拍手をもらったときは感じるものがありました。自分は人前で弾くことが好きなんだ、演奏家だったんだと再認識できたことはコロナのおかげで変化したことと言えるかもしれません。今は毎回ワクワクした気持ちで舞台に上がっています。
ヒンデミット「白鳥を焼く男」について
ー 本日演奏するヒンデミット「白鳥を焼く男」について、どんなところを聴いて欲しいと思っていますか?
ヒンデミットがヴィオラ奏者だったこともあって、ヴィオラの魅力を引き出して書かれている曲だと思います。ヴィオラを埋もれさせたくないということで、オケにヴァイオリンとヴィオラがない編成にしたのだと思いますが、ヒンデミットがやろうとしていた「実体のある音楽」として成功しているのではないでしょうか。この曲を知らないお客様のほうが多いと思いますが、まずは面白い曲だと感じていただけたらうれしいです。
いずれも水星交響楽団でのオケ合わせの様子